日常日語(yǔ)實(shí)用口語(yǔ):座談會(huì)

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    A:陳さんは日本にいらっしゃって何年たちますか。
    B:4年半になります
    A:初めのうちはびっくりなさることもあったでしょう。まず、料理のことからはじめましょうか。日本料理はお好きですか。
    B:あのう。今はおいしいと思いますが、最初は味がわかりませんでした。特に刺身が食べられなくて。赤い身はちょっと怖いみたいで、人が食べるのも見たくなかったんですけど。でも、何回か食べているうちに味がわかるようになりました。
    A:中國(guó)人の友達(dá)が教えてくれたんですけど、日本料理は「料理」じゃない。材料がいいから「料」である。西洋料理は、材料があまりよくないから、なんとかそれを食べられるように煮込んだりして、料理の方法、つまり理屈が発達(dá)したから、「理」である。「料理」というのは中國(guó)にしかございません、と言うんです。これは、本當(dāng)にある一面を突いてます。
    B:なるほど。
    A:日本のような小さな國(guó)は、どこにでも新鮮なものを運(yùn)べるけれど、中國(guó)のような巨大な國(guó)は、海の魚を內(nèi)陸で食べることはできませんからね。
    B:ええ、內(nèi)陸の山西省では、貓も魚を食べないと言っていました。食べ物と言えば、日本に來(lái)たころ、「湯」という看板を見て、スープを売っているところだと思いました。男のスープ、女のスープ、それに、松のスープ。
    A:あっ、男湯に女湯。それに、松のスープは、「松の湯」というお風(fēng)呂屋さんの名前のことですね。
    B:ええ。おなかがすいていた時(shí)に、スープの看板を見たので、入って行こうとしたら、主人は日本で育った人ですから。
    A:でも、ここは外國(guó)ですから、どんなことがあるかわかりません。
    B:陳さんは、日本語(yǔ)を勉強(qiáng)していらっしゃって、今の「湯」のお話のように、日本語(yǔ)の漢字が中國(guó)と違う意味で使われていることにぶつかって、驚かれるでしょう。
    A:ええ、ええ。
    B:中國(guó)の方が日本語(yǔ)を習(xí)う時(shí)、初めは同じ漢字だから、簡(jiǎn)単だと思って始められるんですけど、漢字の意味が違うことがわかると、似ているだけにかえって難しいと思い始めるようですね。
    A:それは、ぼくのように、日本人で中國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)している場(chǎng)合にも當(dāng)てはまりますね。
    B:漢字をつい自分の國(guó)の意味で読んでしまうから。
    A:それと、もう一つは、音よりも文字に頼りすぎる。
    B:テキストを読む時(shí)、意味を類推しながら読む。そして、會(huì)話をする時(shí)も、一応字を頭に並べてみる。
    A:そう、日本の漢字を並べて、それを中國(guó)の発音で読んで、できた、と思ってしまう。會(huì)話に字は要らないのに、ぼくの頭の中では要る。結(jié)局、頭の中で一度字を並べて、それを翻訳するから、早い會(huì)話には間に合わなくなる。おそらく歐米の人たちは、字に頼らないから、音から入るんじゃないですか。
    B:そうですね。
    A:だけど、日本人は字から入る。それは、利點(diǎn)であると同時(shí)に障害になる。これは、中國(guó)の方が日本語(yǔ)を習(xí)う場(chǎng)合も同じですね。
    B:でも、字を知らないと覚えにくいです。音だけで覚えた言葉では、たびたび失敗をしました。ケッコウと言うところを、コッケイと言ってしまったり。それから口紅を買う時(shí)、「クチベルをください?!工妊预盲皮筏蓼い蓼筏?。
    A:ご無(wú)事でしたでしょうね。(笑い)
    B:けれど、わたしも、今は日本の文字を意識(shí)的に読まないようにしているんです。
    A:日本の文字を中國(guó)語(yǔ)で読んでしまう弊害を避けるためですか。
    B:ええ、今はその過(guò)程にいると思います。
    A:ぼくが中國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)していて、もっとも苦労するのはやはり四聲ですね。あれだけ聲調(diào)があるとね。でも、中國(guó)語(yǔ)を陳先生に教えていただいているおかげで、日本語(yǔ)の上がり下がりが明確にわかるようになりました。これは、ぼくの仕事で、歌を作る時(shí)に特に大切なことなのです。
    B:あっ、そうですか。でも、劉さんの聲調(diào)は上手です。やっぱり音楽家だから。
    A:耳がいいということは、言語(yǔ)習(xí)得には有利ですよ。
    B:いやあ、耳がよくても記憶が悪いから…。ただ、語(yǔ)學(xué)というものは、とってもうれしいものですね。最初、中國(guó)に行った時(shí)、ぼくは何にもわからなかったんです。でも、陳先生に習(xí)い始めてから、だんだん人が何を話しているかと言うことがわかってきたんです。
    A:たとえ自分がその會(huì)話に參加できなくても。
    B:ええ、わかるというだけでうれしい。それが少しずつ參加できるようになってくる。そうすると、いかに上手な通訳さんがいても、直接話したほうが、人間と人間のコミュニケーションができるんですね。たとえ下手でも。
    A:そうですね。ところで、今、中國(guó)ではたいへん多くの人たちが日本語(yǔ)を勉強(qiáng)していますね。一説には日本語(yǔ)の學(xué)習(xí)人口は600萬(wàn)人くらいだとか。
    B:いいえ、700萬(wàn)人以上でしょう。ラジオ講座のテキストが出ると、すぐ売りきれてしまいます。必要があればあるほどよく勉強(qiáng)します。
    A:「必要なき所に進(jìn)歩なし?!工扦工汀?BR>    B:ところで、日本でも、陳さんのテレビ講座やラジオ講座で中國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)している人が、やはり100萬(wàn)人以上はいるんじゃないですか。やはり社會(huì)的に必要だということで。
    A:ええ、あるいは本當(dāng)に興味があるから。
    B:やはりそれは、いかに多くの日本人が中國(guó)との友好を求めているか、という現(xiàn)れでしょう。そして、中國(guó)の方が日本語(yǔ)を勉強(qiáng)なさるのは、友好と同時(shí)に、近代化への必要性を求めているからでしょう。
    A:そうです。
    B:やはり、國(guó)同士に友好の意欲がある時(shí)には、相互に語(yǔ)學(xué)が盛んになるでしょう。國(guó)同士が互いに魅力を感じ合う時(shí)は…。
    A:ええ、ええ。ですから。これから、日本語(yǔ)を話せる中國(guó)人と、中國(guó)語(yǔ)を話せる日本人が、どんどん増えるでしょう。そうして、お互いに直接、交流できるようになるのは、本當(dāng)にいいことですね。
    B:そうですね。本當(dāng)にすばらしいことですね。
     
    日語(yǔ)知識(shí)庫(kù):日語(yǔ)中大量使用漢字。日語(yǔ)中的全部漢字約有幾萬(wàn)個(gè)之多,但是常用的則只有幾千個(gè)。1946年10月日本政府公布了“當(dāng)用漢字表”,列入1850個(gè)漢字。1981年10月又公布了“常用漢字表”,列入1946個(gè)漢字。在教科書和官方文件中,一般只使用列入“常用漢字表”中的漢字。   每個(gè)漢字一般都會(huì)有兩種讀法,一種叫做“音讀”(音読み/おんよみ),另一種叫做“訓(xùn)讀”(訓(xùn)読み/くんよみ)。
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