日語閱讀:中村屋のボース

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大正初め、日本へ亡命したインドの獨(dú)立運(yùn)動(dòng)家ラス?ビハリ?ボースは、東京で食べたカレーの味にひどく落膽した?!弗ぅ螗少F族が食べるのはこんな味じゃない」と。
    らくたん「落膽」期待や希望どおりにならずがっかりすること?!笇彇摔送à椁酣Dする」
    大正初年,逃亡日本的印度獨(dú)立運(yùn)動(dòng)家賴斯。比哈利。波斯,對在東京吃到的咖喱大失所望。他說“印度貴族所吃的可不是這種味道”。
    當(dāng)時(shí)一般に食べられていたのは、英國風(fēng)のカレー粉を使った即席料理だった。本場ベンガル育ちのボースには和食にしか見えなかったことだろう。日印を結(jié)ぶ政治工作のかたわら、本式のカレーを広めようと決意する。
    即席料理:ありあわせの材料で即座に作る料理。
    當(dāng)時(shí)人們食用的,一般是用英國風(fēng)味的咖喱粉所做的便餐?;蛟S在孟加拉土生土長的波斯只看到日餐吧。因而他決定在從事日印政府友好工作的同時(shí),也要推廣地道的咖喱餐。
    官憲に追われ、かくまわれた先が新宿の洋食店中村屋だった。店主の娘と戀愛結(jié)婚して経営に加わり、「純インドカリー」を売り出す。鶏肉や香辛料を精選し、ご飯とカレーを別盛りで出した。他店の8倍もの値をつけたが、「戀と革命の味」として評判を呼んだ。
    官憲:1 官庁?役所。また、官吏?役人。特に警察関係にいう。「―の手を逃れる」
    2 政府?官庁の規(guī)則.
    波斯被印度政府通緝,而藏身于新宿的中村屋西餐館內(nèi)。他與店主的女兒戀愛結(jié)婚,并加入到餐館的經(jīng)營中,開始出售“純印度咖喱”。他精選了雞肉和香辣調(diào)味料,將飯和咖喱分盛于不同的碗內(nèi)。雖然咖喱的售價(jià)是其他店鋪的8倍,但卻評譽(yù)為“戀愛和革命的味道”。
    波亂の生涯をたどった中島岳志さんの「中村屋のボース」(白水社)が、今年度の大佛次郎論壇賞を受けた。同時(shí)代を生きた獨(dú)立の志士チャンドラ?ボースとしばしば混同されるが、別人である。
    追溯其波折一生的中島岳志的作品《中村屋的波斯》(白水社),榮獲本年度的大佛次郎論壇獎(jiǎng)。書中的波斯屢屢被人們與同時(shí)代的獨(dú)立運(yùn)動(dòng)志士卡德拉波斯混同,但其實(shí)這是不同的兩個(gè)人。
    中村屋のボースの方は、日本を頼ってインド獨(dú)立を模索した。最後は、帝國主義日本の手先とみなされて苦悶(くもん)する。受賞作はその歳月を丹念に描いた伝記だが、日本のカレー文化をインドの視點(diǎn)から考える上でも興味深い。
    手先:手下となって使われる者。「盜賊の―」(手下,部下,爪牙,手指尖)
    中村屋的波斯,依靠日本摸索印度獨(dú)立之路。但最后,他卻被人看作是帝國主義日本的爪牙而痛苦不堪。獲獎(jiǎng)作品精心地描述了他的那段歲月,不過,即便從印度的視點(diǎn)來考慮日本的咖喱文化上也是很意味深長的。
    晩年のボースが病床で夢見たものが二つある。祖國の主権を奪い返すことと、醫(yī)師に制限されたカレーを存分に食べることだ。ボースの長女、哲子さん(83)によると、醫(yī)師が治療をあきらめた後、家族は望み通りカレーを與えた。だが獨(dú)立の夢はかなわないまま58歳で逝く。東京を寒波が包んだ1945年1月の夜だった。
    存分:[名?形動(dòng)]物事を思いどおりにすること。満足のゆくまですること。また、そのさま?!辅Dに楽しむ」「―な活躍を期待する」「思う―歌う」
    かん‐ぱ「寒波」寒気団が溫暖な地域に進(jìn)入し、気溫が急激に下がる現(xiàn)象。「―到來」
    晚年臥病在床的波斯有兩個(gè)夢想。奪回祖國的主權(quán)與盡情地享用醫(yī)生所限制的咖喱。波斯的長女,哲子女士(83)介紹說“在醫(yī)生放棄治療之后,家人讓波斯盡情地享用了其如愿的咖喱,但其獨(dú)立的愿望卻終未能實(shí)現(xiàn)。在寒潮侵襲東京的1945年1月的某個(gè)夜晚,波斯辭世,享年58歲。