「烏合の衆(zhòng)」
<うごうのしゅう>
烏(からす)の群れのように、ただより集まって騒ぐだけの集団。
規(guī)律も統(tǒng)制もなく集まったもの。中國で、王族ではない普通の身分から王になった最初の人は漢の時代の高祖という人です。
高祖の部下たちも、ほとんどが王族ではない民でした。
彼の部下に麗食其(れきいき)という人がいました。
麗食其は、小さな頃から読書好きでしたが、家がとても貧しく、れといった家業(yè)もなく、田舎の役人としてなんとか生計をたてていました。
高祖が挙兵したとき、自ら軍に入り、読書で得た知識を生かし、策士として高祖に重用されました。
彼だけではなく、特に訓(xùn)練もされていない生活ぶりも違う民たちがひとりひとりの持っている力を存分に発揮して、みんなで立派な國を作りあげたのです。
その活躍ぶりを、當(dāng)時の歴史家たちは「高祖は、烏の集まりのように統(tǒng)制のない大衆(zhòng)を見事にリードして気ままな亂れた軍を、立派にまとめ上げて成果を上げた」と、ほめました。
そして、それ以來、「烏合の衆(zhòng)」をきちんとまとめて、勝つことが、立派な將軍の條件だと言われるようになったのです。
<うごうのしゅう>
烏(からす)の群れのように、ただより集まって騒ぐだけの集団。
規(guī)律も統(tǒng)制もなく集まったもの。中國で、王族ではない普通の身分から王になった最初の人は漢の時代の高祖という人です。
高祖の部下たちも、ほとんどが王族ではない民でした。
彼の部下に麗食其(れきいき)という人がいました。
麗食其は、小さな頃から読書好きでしたが、家がとても貧しく、れといった家業(yè)もなく、田舎の役人としてなんとか生計をたてていました。
高祖が挙兵したとき、自ら軍に入り、読書で得た知識を生かし、策士として高祖に重用されました。
彼だけではなく、特に訓(xùn)練もされていない生活ぶりも違う民たちがひとりひとりの持っている力を存分に発揮して、みんなで立派な國を作りあげたのです。
その活躍ぶりを、當(dāng)時の歴史家たちは「高祖は、烏の集まりのように統(tǒng)制のない大衆(zhòng)を見事にリードして気ままな亂れた軍を、立派にまとめ上げて成果を上げた」と、ほめました。
そして、それ以來、「烏合の衆(zhòng)」をきちんとまとめて、勝つことが、立派な將軍の條件だと言われるようになったのです。