日語(yǔ)閱讀:渡辺淳一「美しい別れ」1

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暮の二十八日には、K子は故郷へ帰り、そのまま札幌へは戻ってこない予定になっていた。
    そのぎりぎりの前日、僕達(dá)はまた會(huì)ってしまった。
    そしてそこで、僕達(dá)はついに激しい喧嘩をした。
    ついに、というのは、前からその兆しがあったからである。
    會(huì)いながら、ふとした沈黙の瞬間、僕達(dá)は互いに憎んでいるのがわかった。
    言葉にははっきり表さないが、心の中に言葉を押し込んでいた。
    それは、なお愛し合いながら別れざるを得ない、そのことへの怒りと苛立ちが原因であることもわかっていた。
    だが、そのことは、いまさらぶり返したところで仕方がなかった。二人が十分考えたあとで出した結(jié)論であった。
    一見、それで納得していた。
    しかし、心のそこではなお納得しきれない、もやもやが押し隠されていた。
    考えてみると、二人は実際以上に、きれいに振舞おうとしていたのかもしれない。
    愛し合っているのに、一緒にいられない。その不満をもっているのに、表面は美しく別れることばかり考えていた。
    「どうせ別れるなら、きれいに分かれましょう」そうな言葉に酔っていた。
    そこに無(wú)理があった。
    暮も迫ってぎりぎりになって、その無(wú)理が一気にあふれ出た。
    そのときの言い爭(zhēng)いは、いまここでは思い出せない。情景はあざやかに思い出せるが、今それを書きたくない。
    多分、僕は彼女の我慢の足りなさをなじり、彼女は僕の身勝手さを責(zé)めたはずである。
    言い合っているうち、僕は、「そんなに結(jié)婚したいなら、誰(shuí)とでもしろ」と叫び、彼女は「あなたは卑怯よ」と言い返した。
    今考えると、互いに一理あり、互いに我がままでもあった。
    だが、そのときは二人とも冷靜さを失っていた。
    とことん相手を責(zé)め、非難した。
    最後に、僕は、「もう、これで君と別れてせいせいする」と叫び、彼女の「私もよ」という聲をきいて、外へ飛び出した。
    すでに十二月の末で、街は深い雪に覆われていた。
    その雪道を、僕は酔いと淋しさでふらつきながら、「馬鹿野郎、馬鹿野郎」と叫んだ。
    「あんな奴、苦労して、不幸になればいい」ともつぶやいた。
    だが、それは、まさしく僕が彼女を愛している証拠でもあった。
    罵り、叫び、けなしながら、僕はぽろぽろ涙を流していた。
    何の涙なのか。
    彼女に言い爭(zhēng)いで負(fù)けた口惜しさか、きれいに別れようとして、できなかった無(wú)念さか、最後まで彼女をとらえきれなかった、自分の不甲斐なさへか。
    そのすべてのようであり、そのどれでもないようでもある。
    とにかく僕はその夜、街へ出て、酔いつぶれるまで飲んだ。
    目を開けていられぬほど泥酔し、吐き、床に入り、やがて目が覚めると、窓際に晝近い陽(yáng)が射していた。
    僕は慌てて、彼女のアパートに電話をしてみたが、彼女は朝早く故郷へ向けて発ったあとだった。
    すでに十二月の三十日で、目にしみる銀世界の中で、僕は彼女の名前を呼んだ。
    僕は美しい別れがないとは思わない。別れは美しく、甘美なものである。
    だが、それはある年月を経て、思い出したときの感傷で、別れそのものの実態(tài)とは少し違うような気がする。
    年月というものは、すべてのものを美しくする。それは魔術(shù)師のように巧妙で、鮮やかである。
    年老いた人はみな、自分の青春時(shí)代を、古きよき時(shí)代という。
    八十年代の人は大正を、六十代の人は昭和初期を、そして四十臺(tái)の人は、あの大戦と、それに続く暗い年代をさえ、よき時(shí)代という。
    それはみな過去というベールを透かしてみたときの感傷で、その時(shí)點(diǎn)からの見方ではない。
    それは過ぎた青春へのノスタルジイで、その意味で、一方的でナルシスティックなものである。
    だからこそ、ある人が、自分たちの青春が素晴らしかったことをいかに熱心に説明したところで、ほかの世代の人には、何の共感もよばない。
    冷ややかないい方をすれば、自己陶酔としかうつらない。
    戀の別れも、それに近い。