日語(yǔ)閱讀:秋葉原という町

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秋葉原に出かけて面白いモノを探し、それを話のネタにしようというこの連載.スタートにあたる今回は、秋葉原に馴染みがない人のために、筆者にとっての秋葉原といったあたりを、つれづれに記してみたいと思う。
    秋葉原の2つの不思議~ジャンク屋とパーツ屋
    多くの人が知っていると思うが、秋葉原は世界でも類例のない、電気、電子機(jī)器の専門店が集結(jié)した街だ。日本の首都、東京の中心部にほど近い位置にある秋葉原に、なぜ電気の専門街が出現(xiàn)したのかはナゾだが、戦後の闇?zhǔn)肖楝F(xiàn)在の秋葉原が形成されたと言われている。そんな秋葉原を特徴づけていたのが、電子機(jī)器パーツの専門店とジャンク屋だろうと思う。
    秋葉原には多くの電子パーツ専門店があり、それらの大部分は雑居ビルやJRの高架下に店を構(gòu)える。一坪ショップと呼ばれるように、ほとんどの店は3メートル四方か、それを2つ合わせたくらいの大きさで、そこに棚を置いて電子パーツ類(光り物)を並べ立て、奧に店員がいるという具合だ。店員は一般に無愛想で、専門知識(shí)のない客に対してはバカにしたような態(tài)度を取ったりもする。
    こんな商売が成り立つのかと驚く人も多いが、実はパーツ店の大半は卸問屋の出店だったりする。問屋が扱っている商品の一部を店に並べ、技術(shù)者にパーツの小売りを行うとともに、ときには大量に買い付ける商談の場(chǎng)にもなるわけだ。製品の設(shè)計(jì)や試作を行う技術(shù)者は、たいてい秋葉原で部品を調(diào)達(dá)するし、少量生産品の場(chǎng)合は店先で部品を買い付けていることもある。秋葉原は電子機(jī)器メーカーにとって無くてはならない町なのだ。
    一方、もうひとつの特徴であるジャンク屋は、普通の人には奇妙な店に見えるだろう。ジャンク=ゴミのことで、名前のとおりジャンク屋は部外者にはゴミにしか見えない代物を扱っている店だ??亭系辘藖Kべられたゴミに目を輝かせ、金を払ってまでゴミを購(gòu)入していくという異様な光景が展開される。
    しかし、ジャンク屋が扱っているのは、タダのゴミではない。ジャンク屋は、メーカーが廃棄処分にした電子機(jī)器類、生産物の余剰品や半端物を買い付け、それを売っているのである。ジャンクの中には新品かつ使い物になる、たとえば半完成の無線機(jī)やらTV、ビデオのチューナーユニットや機(jī)構(gòu)部品、液晶パネルなどなど見る人が見れば魅力的な商品があったりする。
    こうした半端物は、キログラムあたりXX円というような価格でジャンク屋が処理を引き受けている。早い話、ほとんどタダで仕入れたジャンクに値をつけて売っているわけで、これが儲(chǔ)からないわけはない。また、ときには大量に放出された余剰品を、それを必要とする他のメーカーに流すこともある。この種の大當(dāng)たりの取り引きがあると、かなりの利益が出ると聞いている。
    秋葉原から日本が見える
    さて、ジャンク屋もパーツ屋も、いわば電子立國(guó)(少し恥ずかしい言葉だが)日本の底辺を支えてきたといっても過言ではないだろう。電子機(jī)器の設(shè)計(jì)から生産までが國(guó)內(nèi)で行われ、その産業(yè)の景気が良ければパーツ屋はにぎわい、良質(zhì)なジャンクが出回る。逆に景気が悪くなればパーツ屋は寂れ、ジャンクの質(zhì)も低下するわけだ。また、秋葉原では非常に特殊な電子パーツまで入手できる。秋葉原のおかげでプロ、アマチュアを問わず日本では電子パーツの入手が容易だ(秋葉原の店は通販もやっているから遠(yuǎn)方の人でもパーツは容易に入手できた)。これが未來の技術(shù)者(少年たち)の技術(shù)や知識(shí)を高め、電子産業(yè)を支える人材を育成してきたという側(cè)面があったように思う。
    そんな秋葉原だが、ここ數(shù)年で街の雰囲気がかなり変わってきたようだ。たとえば、パーツ屋は數(shù)がやや減り、その分、パーツ類の入手に困難を感じるようになった。さらに大きく変化したのがジャンク屋。店が減ったのはもちろん、並べている商品が貧弱になっている。昔ながらのジャンク(半端物のたぐい)は減り、中古や海外で生産されたコンピュータのパーツ類がジャンクの中心になってしまった。
    街の変化が急激に進(jìn)んだのは、バブル経済の頃。円高が進(jìn)み工場(chǎng)の海外移転が進(jìn)んだことで、國(guó)內(nèi)で良質(zhì)なジャンクが出づらくなったようだ。また、バブルな金もうけがもてはやされ、地道な製品開発は流行らなくなった。時(shí)を合わせるかのようにパソコンが広がり、秋葉原はいまやコンピュータ専門街の様相を呈してきている?!·饯欷悉饯欷?、悪いことではないのかもしれない。數(shù)年前より秋葉原に訪れる人(大半がパソコン少年やパソコン中年だ)は増えていて活気もある。しかし、昔ながらのパーツ屋とジャンク屋が寂れていく姿に、なんとなく暗い未來を予感するのは筆者だけだろうか。
    これはアブない……
    ところで先日、取材もかねてチャリで秋葉原界隈をうろついていたのだが、道端で怪しげな男がCD-Rを並べているのを目撃。チャリで通りすぎてしまったので詳しいことはわからないが、CD-Rにはコピーしたソフトを焼き込んであったらしい。違法コピーの販売を「堂々と」やっているのを目撃するのは、秋葉原暦數(shù)十年の筆者も初めてで、少し驚いた(こそこそとやっている所は、昔はけっこうあった)。
    數(shù)人のサラリーマンらしき人がCD-Rを見ていたが、もし読者が秋葉原で、この種の商売を見かけても決してCD-Rを買わないように。売るのも買うのも違法だし、コピー物にはウィルスが混入している危険も高い。こういう違法な商売が長(zhǎng)く続けられるわけは無いとは思うが、十分に気を付けて欲しい。