天聲人語08年12月01日

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美味佳肴
    出張した博多の料理屋で、おかみさんが教えてくれた。「鍋物の白菜は縦に切るといいですよ」。肉厚の白い軸を繊維に沿って長く切れば、なるほど、うまみと歯ごたえが殘る。旬の味覚に納得した。
    “吃火鍋時(shí),白菜豎著切為好”,這是我以前出差去過的博多的一家餐館,那的老板告訴我的。原來如此,要是沿著植物纖維把厚厚的白色的莖切成細(xì)條狀的話,就保住了白菜的美味和嚼頭。這讓我理解了時(shí)令的味覺。
    不覚にもというべきか、家族に鍋奉行と恐れられながら白菜はずっと橫に切ってきた。ただ、シメの雑炊まで考えると、うまみが鍋全體に回るのも悪くない。くったりと汁を吸ったのを好む人がいれば、そんな「出がらし」はごめんという向きもあり、ここは奉行たちの裁きも分かれよう。
    也許是沒在意吧,每次和家人一起吃火鍋時(shí)我都把白菜橫著切了。不過,如果考慮到雜菜粥的話,能把白菜的精華全部留在鍋中也未嘗不是一件好事。但要是碰到喜歡一下把湯喝光的人,那剩下的那些“粥渣”就暴露無遺了,這時(shí)候大廚那見笑的手藝就會(huì)被發(fā)現(xiàn)。
    朝の畑に霜が降り始める頃、白菜は甘みを増す。國內(nèi)有數(shù)の産地、茨城県八千代町を訪ねた。この野菜の故郷、中國からの農(nóng)業(yè)研修生が収穫を手伝っていた。ひと抱えはある株を特殊な刃物でザクリと大地から切り離し、二段重ねにしていく。
    清晨落在田地里的每一層霜,都令白菜的味道更加香甜。我造訪了國內(nèi)屈指可數(shù)的白菜產(chǎn)地—茨城県八千代町。在這個(gè)蔬菜的故鄉(xiāng),有很多從中國來的農(nóng)業(yè)研究生幫助他們收割。他們將一抱白菜用特殊的刀“喀”一下子與土地分離,然后把它們摞起來。
    外の葉を何枚かむけば、水洗いしたかのような純白。白という色の魔力か、量感あふれる丸みがなまめかしい。畑ではそのまま箱詰めにしていたが、楠本憲吉が詠んだ風(fēng)景が重なる?!聪搐悉欷瓢撞摔五觋枺à遥─藫B(そろ)ふ。
    剝下外面的幾片葉,發(fā)現(xiàn)水洗過一樣純白的芯??赡苁前咨哪ЯΠ桑钸@本身就充滿量感的圓白菜更加豐滿。雖說白菜隨后立即裝箱了。但我們還能感受到楠本憲吉詩中的風(fēng)景“清洗后的白菜,排列在陽光下”。
    ありふれた食材を脇役に、卓上コンロ一つで盛り上がる鍋物は不況との相性がいい。電通総研が先ごろ発表した注目商品でも、生活防衛(wèi)とともに、在宅時(shí)間を充実させる「ウチごもり」がキーワードだった。
    餐桌上擺上一個(gè)琨爐,用司空見慣的食材煮得沸騰的火鍋與當(dāng)今的不景氣倒也相合。早前電通總研發(fā)表的熱門商品中,除保障基本生活的之外,關(guān)鍵詞是充實(shí)家居生活的“宅商品”。
    こもっていたら、はや師走。この時(shí)代、縦に切っても橫に切っても確かな明日は見えないが、だからこそ、きょう一日を味わい盡くすという生き方がある。山海が香る湯気の向こうでなじみの顔が笑う。そんな夕べも大切にしたい。
    宅中一晃就到了十二月早初。這個(gè)時(shí)代,不管豎著切也好橫著切也罷,都是看不清未來的,因此社會(huì)才出現(xiàn)了“今朝有酒今朝醉”的生活方式。但是在山珍海味的火鍋之夜,也請(qǐng)珍惜蒸騰著的香氣對(duì)面那熟悉的笑容。
    1,鍋料理(なべりょうり)は、食材を食器に移さず、鍋に入れた狀態(tài)で食卓に供される料理。鍋物(なべもの)、あるいはただ鍋と呼んで指す場(chǎng)合もある。複數(shù)人で鍋を囲み、卓上コンロやホットプレートなどで調(diào)理しながら、個(gè)々人の椀·取り皿に取り分けて食べるのが一般的である。特に冬に好まれる。
    現(xiàn)代においては、通常は複數(shù)人で囲んで食べるため一抱えほどの大きさの鍋を用いるが、一人用の鍋も市販されており、これを用いる場(chǎng)合は椀などに取り分けず、鍋から直接食べることもある。
    2,鍋奉行【なべぶぎょう】 :鍋料理を食べるとき、材料を入れる順序や食べ頃などをあれこれと指図する人。