日語(yǔ)中級(jí):第27課 案內(nèi)狀の書(shū)き方4

字號(hào):

本課課文
    (1)「日本人がうさぎ小屋に住んでいる」
     これは、ec(ヨーロッパ共同體)が日本についてまとめた報(bào)告書(shū)にあった言葉だ。この言葉を聞いたときは、さすがに「いくら日本の住宅は狹いからと言っても、そこまで言うことない」と、腹を立てた人が多かった。けれど、日本の住宅事情の悪さを、あたらめて認(rèn)識(shí)させられたことも事実である。
     現(xiàn)在も日本の住宅事情はほとんど変わらない。特に大都市は相変わらずの住宅難だ。都會(huì)では自分の家を持つことがそもそも難しい。
     「アパートや借家の家賃を払うのに精一杯で、とても自分の家を持つだけの経済的なゆとりがない」というのが、都會(huì)で暮らす人たちの率直な感想だろう。
     近は、一戸建ての家よりも、分譲マンションなどの集合住宅を選ぶ人が増えているという。新しく家を建てられるような土地が殘っていないのだから、それも仕方がないことだろう。
     もちろん、もっと広い家に住みたいと、誰(shuí)もが切実に思っている。「庭付き一戸建ての家に住みたい」というのが、多くの人たちの夢(mèng)だ。しかし、庭付きの家を買(mǎi)えば買(mǎi)ったで、困ることがる。庭付きの家が買(mǎi)えるような所は郊外しかないので、それだけ交通の便が悪くなるからである。東京では、郊外の自宅から片道2時(shí)間くらいかけて都心の會(huì)社へ通勤しているサラリーマンは珍しくない。いくらマイホームを持ったと言っても、毎日満?jiǎn)T電車(chē)に4時(shí)間も揺られて往復(fù)するのでは、通勤だけ疲れてしまうだろう。
     このような住宅難は、都市に人口が極端に集中しているために起こる現(xiàn)象である。何しろ1平方キロあたり1萬(wàn)人以上という人口密度だから、都市の住宅が不足するのも當(dāng)然である。
     都市が人口の過(guò)密に悩まされている一方で、皮肉なことに、農(nóng)村は過(guò)疎と言う現(xiàn)象に悩まされている。大都市に人口が集中するため、農(nóng)村の人口が少なくなると言う現(xiàn)象である。過(guò)疎化の激しい所では、一つの村そのものがなくなってしまった所すらある。
     近は、官庁や企業(yè)を都會(huì)ばかりに集めず、地方に分散させようと言う計(jì)畫(huà)が真剣に検討されている。また、青年の思想も変わった。都會(huì)より農(nóng)村で生活したいと言う青年が徐々に増えている。都市の過(guò)密と農(nóng)村の過(guò)疎と言う矛盾に、多くの人が気づき始めた証拠だろう。
    (2)田中:やあ、吉田君。家を買(mǎi)ったんだって。おめでとう。
     吉田:ありがとうございます。お陰さまで、なんと自分の家を持つことができました。今度、ぜひ遊びに來(lái)てください。
     田中:うん。そのうちにお祝いに伺うよ。ずいぶん立派なお宅だそうだね。
     吉田:いえ、それほどでもないですよ。ただ、家を買(mǎi)うなら、庭があってゆったりした家が言いと思って選びましたから、広いこと広いんです。でも、郊外ですから、通勤するのが大変で….。
     田中:會(huì)社まで、どれくらいかかるの。
     吉田:2時(shí)間とちょっとです。だから、毎朝6時(shí)半には家を出なきゃならないんですよ。ちょっと朝寢坊でもしようものなら、確実に遅刻ですね。
     田中:それじゃあ、睡眠不足になってしまうだろう。
     吉田:ええ。近はいつも眠くてしようがないんです。でも、東京のサラリーマンは、みんな同じような苦労をしてるわけですからね。しかたないですよ。
     田中:そうだなあ。なるべく無(wú)理をしないで、休みの日はゆっくり寢るようにしたほうがいいね。せっかく家を買(mǎi)っても、體を壊したら、何もならないからなあ。